日本が相対的に貧しくなっていく中で思うこと
最近、生命維持治療の終了をめぐる発表と、高齢者にも働いてもらうという首相の話が出て、それぞれ賛否が集まっている。けれど、今の日本には避けて通れない現実がある。
まず社会が支えられる人の割合には、限界がある。
これが、少子化の要因なのではと最近思うようになってきた。
高齢者でも子どもでも誰かを支えるには、別の誰かの時間や労働、資源が必要になる。
高齢者を支える負担が大きくなれば、現役世代が子どもを育てる余力も失われる。
子どもが減るのも、ある意味では当然という流れになる。

60年前の理想は、継続出来ませんでした。という現実。
約60年前、65歳の平均余命は男性で約12年、女性で約15年だった。
今では男性で約19年、女性で約24年になっている。
当時の日本が目指したのは、誰もが安心して老後を迎えられる社会だったのだと思う。
医療を充実させ、介護を整え、寝たきりになっても何年にもわたって手厚く支え続ける。
日本は、その理想をできる限り実現してきた。
しかし、当時の社会が思い描いた老後は、これほど長く生きる世界を前提としていなかったはずだ。
かつての理想を、長寿化した現代でも何とか維持しようとしていきた。
その理想を追い求めた結果が、今も世界で突出して多いのではないかと思う「寝たきり」の問題ではないだろうか。
その理想の中で生きて来た私たちは今でも、60年前に描いた理想を何とか維持するためにも、膨大な時間を働いて膨大なコストを支払っている。
その負担は現役世代の生活を圧迫し、子どもを育てる余力まで奪っていく。
そして、少子高齢化が進み、かつての理想が実際に徐々に削られていっている現実がある。
私は、ここに至ってしまった今では、医療や介護の負担を減らし、寝たきりになる人を減らし、年齢を問わず元気に活動できる期間を延ばすことが、何より重要だと思っている。
元気な高齢者には、無理のない範囲でもっと長く活躍してもらう。
その一方で、医療や介護に必要な税金と人手を減らすことができれば、社会全体の余力も増える。
私には、健康で自立して暮らせる人が十分に増えれば、今の8割程度の労働でも暮らせる社会になる可能性があるように思える。
社会保障に必要な負担が大幅に減れば、税金や社会保険料も軽くできる。そうなれば、今と同じ生活を維持するために必要な労働時間も減らせるはずだ。
ところが、税金の為に生活が苦しくなるほど食費を削り、栄養や健康への投資を後回しにする。
税金の為に事業者は雇用者に厳しい条件を突き詰める必要が高まる。
その結果、ストレスが増え、身体が衰え、医療や介護の負担がさらに増す。
これが今の構造だ。そしてそのままだともっと悪化する。
長く生きられることだけではなく、長く元気に活動できることを、社会の中心的な目標にする必要があるのではないだろうか。

ミトコンドリアは、怠けさせると怠ける。
少しだけ、人間の身体の仕組みについて触れておきたい。
私たちの細胞には「ミトコンドリア」という小さな器官がある。食べ物から得た栄養を利用して、身体を動かし、脳を働かせ、生きていくためのエネルギー(ATP)を生み出している。
私はこのミトコンドリアの集合体が人間である。と言ってしまっても過言ではないと思っている。
そして、このミトコンドリアには重要な特徴がある。
簡単に言えば、怠けさせると、とことん怠ける。
特に筋肉のミトコンドリアは、身体を動かす機会が減ると、その量やエネルギーを生み出す能力が低下しやすい。
動かないから衰え、衰えるからますます動けなくなる。
この悪循環が、人間としての機能を失うことを加速させてしまう。
ただし、ミトコンドリアは厳しく鍛え続ければよいというものでもない。
大切なのは、適度な刺激・適度な栄養・適度な休息。この3つをセットで考えることだ。
身体に適度な刺激を与え、必要な栄養を届け、しっかり休ませる。そうすることで、身体は刺激に適応し、機能を維持・向上させていく。
反対に、刺激が少なすぎれば衰えやすく、無理を重ねて栄養や休息が不足すれば、回復も追いつかなくなる。
もちろん、病気や事故などで寝たきりになる人もいる。すべてが生活習慣によるものではない。
それでも、身体の機能を大きく失ってから医療や介護で支えることに、これほど多くの力を注ぐのであれば、失う前の取り組みをもっと重視してもよいのではないだろうか。
かつて理想とされた「何もしなくてもよい悠々自適な老後」も、身体の仕組みから考えれば、必ずしも幸せな選択とは限らないことだけは、ここで理解しておきたい。
本当に目指すべきなのは、何もしなくてよい老後ではなく、無理なく元気に活動し続けられる老後なのだと思う。
今の仕組みでは、賃金が上がっても豊かになれない。
物価が上がれば、賃金を上げる必要がある。
しかし、ここには大きな問題がある。
60年前に描いた理想を維持するために、国は今後も多くの税金や社会保険料を必要としている。
賃金が上がれば、所得税や社会保険料の収入も増えやすい。物価が上がれば、同じ量を購入したときの消費税額も増える。
つまり、賃金や物価が上がることは、国の収入を増やすことにもつながる。
でも、それが国民の豊かさにつながるとは限らない。
企業は賃金だけでなく社会保険料の負担も抱え、商品やサービスの価格を上げざるを得なくなる。
働く人も、給料が増えても税金や社会保険料を差し引かれ、さらに物価上昇で生活費が増える。
結局、私たちは豊かになるためというより、今の仕組みを維持するために、より多く稼ぐ必要に迫られているのではないだろうか。
この負担そのものを減らさなければ、賃金が上がっても、本当の意味で暮らしが豊かになるのは難しいと思う。
安さを求め続けた日本
もちろん、これからの世界が今の延長線上に進むとは限らない。
グローバル社会の大きな変化によって、こうした議論の前提そのものが吹き飛ぶかもしれないし、AIの進歩によって生産性や働き方が劇的に変わる可能性もある。
ただ、そうした変化をいったん脇に置けば、本質はそれほど複雑ではないと思う。
社会が使える人手や資源には限りがあり、豊かに暮らすには、支える負担を適正にし、生み出す価値を高めるしかない。
そして日本には、もう一つ大きな問題がある。
日本は海外から多くの食料やエネルギー、資源を購入している国だ。
かつては優れた工業製品などを世界に販売し、その対価で豊かな生活を実現してきた。
日本人が真面目に働き、技術を磨いてきたのは事実だ。
しかし、人口ボーナスに恵まれ、アジアの国々が戦争や混乱の中にあった時代背景も大きかったと思う。
今では世界中の国々が技術を磨き、製品を作り、競争している。
日本がその競争に十分勝っているとは言い難い。
資源に乏しい国でありながら、エネルギー自給率を大きく高めることにも成功していない。
その一方で、日本国内では長く安売り競争を続けてきた。
消費者は安いものを求め、企業は少しでも安く提供するために努力する。
海外から安く仕入れ、海外で安く生産し、人件費を抑える。
それぞれの企業にとっては合理的な経営判断だろう。
しかし、それが広がれば国内の生産者は仕事を失い、国内に残る利益も減り、働く人の所得は増えにくくなる。所得が増えないから、消費者はさらに安いものを求める。
企業はもっと安く提供しようとする。
その結果、国内産業はさらに弱くなる。
安くするための企業努力が、日本全体を貧しくする方向に働いてしまう。
そんな構造ができているのではないだろうか。
日本人は本当に真面目に働いている。
けれど、国内で互いに値下げを迫り、利益を削り、仕事を奪い合っているだけでは、豊かになるとは限らない。
国内で消耗戦を繰り返しているようなものだ。
内戦を続けながら豊かになる国はない。

海外に流れる価値と、日本の空洞化
さらに近年は、デジタル赤字も拡大している。
2024年、日本のデジタル関連収支は約6.85兆円の赤字だった。
クラウド、ソフトウェア、広告、さまざまなデジタルサービス。
私たちの生活や仕事に欠かせない仕組みの多くを、海外企業に依存している。
デジタル化によって便利になる一方、その利用が増えるほど海外への支払いも増えていく。
製造業でも、海外で生産し、海外で利益を得る企業が増えた。
日本企業が世界で稼いでいても、その利益が国内に十分に再投資されなければ、日本に暮らす人々の所得にはつながりにくい。
国内で安く買い、海外で生産し、海外のデジタルサービスを利用する。
その一方で、国内の農業や製造業、技術や人材を育てる力が弱くなっていく。
日本の企業が世界で利益を出すことと、日本に暮らす人々が豊かになることは、必ずしも同じではなくなっている。
日本人が日本人を豊かにする力が、少しずつ失われているように感じる。
日本人が日本人を応援できない
私が経営する繭久里カフェでも、国内の農家さんから食材を購入し、国内のこだわり食品を仕入れ、子育て中のスタッフが働ける環境をつくり、健康を意識した食事を提供している。
つまり、国内の生産者にお金を回し、未来を担う子どもを育てる家庭に賃金を届け、お客様の健康を支えようとしている。
小さな取り組みだけれど、私たちなりに、日本の未来に必要だと思うことを実践しているつもりだ。

けれど、正直に言えば、本当に経営が厳しい。
それを分かっていて覚悟してやったけど、ひたすら厳しい。
こうした取り組みを飲食業だけで成り立たせることは、とても難しいと感じている。
国内の生産者を応援し、働く人の生活を支え、食材の質を守りながら利益を出す。
言葉にすれば当たり前のことだけれど、実際には簡単ではない。
安価な輸入品を使い、外国人材の雇用に関する支援制度なども活用しながら、徹底してコストを抑え、価格を下げていく。
それは企業単体で見れば合理的な努力であり、消費者からも「コスパが高い」と評価されるのだと思う。
でも、そうした企業努力を日本中で競い合った先に、本当に豊かな日本はあるのだろうか。
国内に価値を残す努力が、価格の高さとして不利になってしまう。
残念ながら、そういう現実がある。
そして、それを消費者だけの責任にすることもできない。
多くの人が、すでに生活の余裕を失っているからだ。
国産品を応援したくても、安い輸入品を選ばざるを得ない。
国内の生産者を支えたくても、その価格を負担できない。
日本人が日本人を応援する余裕さえ、失いつつある。
これが、今の日本の苦しさなのだと思う。
それでも、少しだけ
日本がこれから豊かさを取り戻すには、海外から買わなければならないものを少しずつ減らし、国内で浪費しやすい仕組みを減らし、国内で生み出せる価値をもっと高めていく必要がある。
そして、その価値を国内と海外の人により買ってもらう。
国内の農業や製造業、技術や文化、サービスを育て、そこで働く人がきちんと報われる社会にする。
同時に、年齢を問わず健康で元気に活動できる人を増やし、社会全体の負担を軽くしていく。
その余力を取り戻すためには、60年前に描いた理想が継続できなかったという現実も、受け入れる必要があると思う。
「やっぱり、できませんでした」
そろそろ国の偉い人たちには、そう素直に認めて、謝ってもらってもいいのではないだろうか。
できなかったことを認めなければ、次の仕組みを考えることも難しい。
ただ、それ簡単に実現できるとは思っていない。
正直なところ、国内の生産者を応援しようと呼びかけても、多くの人がその余裕を減らしてしまっている。
私たちのような小さな事業者も、理想を掲げるだけでは生き残れない。
それでも、安さばかりを追い求めれば、日本国内で価値を生み出す人はさらに減っていく。
私たちは、何を買うかによって、どこに仕事を生み、誰の暮らしを支えるかを選んでいる。
買い物は一つひとつ小さな選択だけれど、その積み重ねは社会全体に影響する。
もちろん、国産だから何でも良いという話ではない。
海外との関係も必要だし、価格や品質も大切だ。
ただ、目先の安さだけではなく、その商品やサービスがどこで作られ、どんな人の仕事や暮らしにつながっているのか。そこにも、少し目を向けてもらえたら嬉しい。
日本が相対的に貧しくなっていく中で、日本人同士が互いの価値を削り合うばかりでは、未来はさらに厳しくなる。
国全体を変えるような大きなことは、私にはできない。
小さなカフェを続けることさえ、本当に大変だ。
それでも、国内の農家さんから食材を購入し、国内のこだわり食品を仕入れ、子育て中のスタッフが働ける環境をつくり、健康を意識した食事を提供する。
そんな小さな取り組みを、できる限り続けていきたいと思っている。
だから、無理のない範囲でも、少しだけ、日本で作られたものや、日本の中で価値を生み出している人たちのことを考えてもらえたら嬉しい。
国内の生産者まで「やっぱり、できませんでした」となってしまう前にちょっと、日本産を応援してほしい。
そして、これは偽らざる私の気持ちだけれど。
繭久里カフェの活動も「やっぱり、できませんでした」とならないように、応援してほしい。
繭久里カフェはミト活をサポート!
食のサポート
栄養バランスを考えた細胞がよろこぶ食事を提供しています。
たいせつ教室
教室やセミナーを通じてミト活をサポートします。
めぐり工房
自然食品や、日々のめぐりを整える生活アイテムを販売しています。
日常の中で取り入れやすい品を揃えました。

AI漫画
AI漫画 健康と人間とミトコンドリアと菌のはなし
漫画で分かりやすくミトコンドリアと菌と人間の健康について作成してみました。
健康・栄養Web診断アプリ
googleのAIシステムOpalを用いたミト活健康アプリを作りました。入力情報と解析結果は、自身で保存されない限り、どこにも残りませんので気軽にどうぞ。利用にはgoogleログインが必要です。
食事から栄養アドバイスweb診断 ミト活対応(無料)
食事を入力すると、ミトコンドリアのATP生産に必要な栄養バランスを含めて栄養のアドバイス。
不調の理由をミトコンドリア視点でアドバイスweb診断(無料)
心身の不調について入力すると、ミトコンドリア視点からの問題発生や改善についてアドバイス。


